幼い時に上野の国立科学博物館で私は運命の人に出会った。
それはガラスケースに横たわるカラカラに干涸びたミイラ。
人間とは思えない姿。
この世の物とも思えない姿。
さらに衝撃的だったのは、首刈り族にかられた頭部だけのミイラ。
大人の拳ほどに小さくなった「それ」は子供心に信じられない物体だった。
稲妻のような衝撃。
家に帰ってからも買ってもらった博物館のパンフレットに載った
小さなミイラの写真を穴のあくまで見ていた記憶がある。
そこから暫く、私の頭はミイラへの憧れの日々を送ることになるのだった。
なんと10才の時に書いた新木小学校創立10周年記念文集には
「将来の夢 考古学者になる!」と書いてある。
親としてはなんてすばらしい夢を持っているんだと
近所にふれ回りたいくらいの万々歳の娘であっただろう。
大英博物館のエジプトの図鑑を見ては胸を高鳴らせ
テレビに「よしむらさん」が出ていれば食い入るようにテレビを見ていた。
そして12才、将来を有望視された彼女の
小学校の卒業文集に書かれた将来の夢は
こんなにも素晴らしいものへと変化を遂げていた。
「アメリカンショートヘアーの猫を飼うこと」
空白の2年間に彼女に何があったかは定かではない。
しかし2年後の14才の時、なんとその夢は叶ったのだった。
子犬や子猫を拾ってきては全戦全敗してきた彼女にとって
猫を飼うことは決して叶うことのない「夢」 だったのだ。
夢は叶う。
願えば叶う事を14才の私は知ってしまった。
小さくても、目立たなくても、親の自慢にならなくても、
将来の夢として掲げた目標を2年後に達成できたのである。
もし12才の時に「考古学者になる」という夢を文集に書いていたら
こんなにも前向きで楽天的には生きてこれなかったと思う。
「叶わないのが夢なのさ」なんてつまらない人間になっていたかもしれない。
卒業文集という大舞台で猫を飼うという平凡な夢を掲げるには
幼い彼女の中でも少なからず葛藤があったと思う。
ましてや10才の時点で壮大な夢を掲げているのだからなおさらだ。
12才の彼女の勇気ある決断にただただ「ナイスジャッジ!」と伝えたい。